なぜこの仕事をしているのか?:天職を見つけた「3日間の徹夜」

更新日:2025年12月21日
「なぜこの仕事をしているのか?」と問われたら、私は迷わずこう応えます。
それは、「システム開発が、私にとって自分の人生をかけて取り組むべきものだからです」と。
この天職を見つけるまでの経験、そして今も私を突き動かし続けている原動力について、お話しします。
最初の挫折:「やりたくないこと」に時間を費やす苦痛
新卒で初めて勤めたのは、電気設備会社でした。
アルバイトの経験は色々とありましたが、本当の意味で社会で働くということが、当時の私にはよく分かっていませんでした。
そこで、正社員として直面したのが、「やりたくないこと」に朝から晩まで時間を費やし、それを定年まで何十年も毎日繰り返すという現実です。
やりたいことも特に無かった23歳の私には、それが耐えられませんでした。
(今からすると、当時採用していただいた会社には感謝しかありません)
その時、人生で初めて、本気で考えることになりました。
「自分が本当にやりたいことは何だろうか?」「何を仕事にしたいんだろうか?」と。
転機:MS-DOSと「残業ゼロ」への使命感
その結果、高校時代からずっと独学で触れていたプログラミングを仕事にしたいと強く希望するようになりました。
しかし、動機は単なる「好き」だけではありません。
当時、私が所属していた電気設備会社では残業が当たり前でした。
私は、働くということに抵抗したかった。だから、「システム開発を極めて、この無駄な残業をゼロにしてやる」と決意しました。
非効率をなくし、仕事の進め方を根本から変えるのが、自分の使命だと考えるようになったんですね。
プログラミングの「好き」と、「効率を追求したい」という使命感が合わさり、プログラミングを仕事にしたいと強く願うようになっていきました。
とはいえ、私が高校時代からやっていたのはMS-DOSを主体にしたN88-BASICという古いプログラムでした。
まさに「いきなりこの業界に飛び込む」形で、大きな不安もありました。
しかし、私は当時、第二新卒の転職組です。
周囲に甘えることはできないと強く感じていました。
システム開発会社に転職して1週間ほど経った時、ちょっとしたメンテ画面を当時の主流言語であるVisual Basic 4.0で作成するという業務をいただきました。
今からすれば1日もあれば余裕で作れる仕組みですが、当時の私にとっては大きな壁でした。
私は、これを3日間一睡もせず徹夜を続けて完成させました。
職人としての哲学:「技術こそ、自分の身を守る唯一の手段」
完成後、上司から「正直言うと、作れないと思っていた」と言われました。
3日間の徹夜は、23歳の体にもかなり堪えました。
しかし、この極限の状態の中で、私は確信しました。
それは、「技術の習得こそが、自分の身を守れる唯一の手段である」ということです。
業務で小さいながらもプログラムを作り切ったという成功体験がキッカケとなり、私は技術習得に猛烈にのめり込んでいきました。
もともとセンスもあったかもしれません。
圧倒的な成長速度であらゆるプログラム言語を習得し、システムとはどうあるべきなのか、どう効率を追求すべきなのかという哲学的な知見も私なりに得る事ができました。
このころには、既に仕事に自分の全ての時間を費やすことになんも疑問も持たなくなりました。
システム開発そのものが私の天職になったんですね。
それ以来、私は【システム開発の職人】になることを目指して自分の武器を磨き続けました。
それがそのまま30年経った今も、私の仕事の根底に脈々と生き続けています。
今でもシステム開発が大好きであり、自分の人生を掛けて取り組むべき天職として、私を突き動かしています。
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